■柳の渡し■
@柳の渡し
 美吉野橋が架かるまで、大淀町北六田と南側の吉野町六田を渡し船で結び、交通の要所として栄えた「柳の渡し」(六田の渡し)があります。北六田側、六田側ともに柳の木が植えられ、「桜の渡し」、「椿の渡し」と共に吉野川の三渡しとして知られています。平安時代、大峯修行の修験者の為に聖宝理源大師が開いたと伝えられており、現在も熊野の那智山を一番として始まる吉野への山岳修行の行程「大峯奥駆七十五靡」の第七十五番の満行の地となっており、逆に吉野から熊野へ抜ける最初の行場となっております。

■世尊寺山門■
A世尊寺
 古くは、吉野寺、比蘇寺、現光寺、栗天奉寺とも呼ばれ、聖徳太子の創建とされています。清和天皇や宇多天皇が行幸され、藤原道長も参詣しました。また南北朝時代は後醍醐天皇も行幸され、「栗天奉寺」の勅額を賜ったといいます。創建以来何回となく戦乱による焼失や、時世の変革により現在残っている建物は後世に建てられました。県文化財に指定されている太子堂には「太子十六歳の孝養像」が安置され、本堂の背後には聖徳太子お手植えと伝えられる壇上桜や、「世にさかる花にも念仏まうしけり」の芭蕉の句碑が立っています。なお、和田石材商店は世尊寺に近く檀家でもあります。

■吉野神宮■
B吉野神宮
 明治二十二年(1889年)、明治天皇が後醍醐天皇をしのんで創建されました。流造りの本殿、入母屋造りの拝殿、それを取り囲む回廊、神門など一群の建造物はすべて節のない総檜造りで、昭和の神社建築を代表するものです。今の社殿は昭和七年(1932年)に竣工しました。祭神は第九十六代後醍醐天皇です。拝殿右の摂社には、後醍醐天皇の建武の中興に功績のあった、日野資朝(ひのすけとも)ら七人の公卿や武士を祀っています。北を向く本殿は京へ思いを残された天皇の心情をうつしたものといわれています。展望がよく、葛城(かつらぎ)、金剛(こんごう)の山並みが見えます。

■金峯山寺仁王門■

■金峯山寺蔵王堂■
C金峯山寺
 金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山です。役行者が金峯山寺を開き、その後平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれています。国宝、金峯山寺仁王門は重層入母屋造、3間1戸瓦葺で、本堂の蔵王堂が南面しているのに仁王門は北面しています。これは北側から大峯へ逆峯(ぎゃくぶ)する当山派の修験者には入口なので北面し、熊野から大峯山へ順峯(じゅんぶ)する本山派には出口です。また、身の丈5.7mの仁王像は、延元元年(1338年)大仏師康成によって造られ、康正二年(1456年)に改めて彩色された墨書銘があります。国宝、金峯山寺本堂蔵王堂は正面5間、側面6間、高さ約34m、檜皮葺き(ひわだぶき)、東大寺大仏殿に次ぐ、木造大建築です。現在の建物は天正十九年(1591年)に再建された室町末期を代表する建造物。内部は内陣と礼堂からなり松や杉など、自然木のままの柱68本が林立するさまは豪壮です。また、内陣の2本の金箔張り化粧柱や須弥檀(しゅみだん)は、桃山時代に太閤秀吉が寄進したものといわれています。蔵王権現像(重文)3体がまつられ、本尊は高さ7mにもおよびます。


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