■如意輪寺■
I如意輪寺
 創建は延喜年間(901〜922年)と伝えられ、後醍醐天皇の勅願寺とされた寺です。楠木正行(まさつら)が大阪四条畷(しじょうなわて)の戦いの出陣前、如意輪寺の裏山にある後醍醐天皇の塔尾稜に詣で、本堂の扉に辞世の歌を鏃(やじり)で刻みました。この扉は宝物殿に安置されています。また、同じく宝物殿に安置されている蔵王権現像(重文)は鎌倉時代中期、嘉禄二年(1226年)仏師筑後検校源慶(運慶の弟子)の作で、檜の寄木造り、極彩色の像で、役行者が山上ヶ岳で感得した蔵王権現の忿努の姿をみごとに表現しています。

■塔尾陵の入口■
J後醍醐天皇 塔尾陵(とうのおのみささぎ)
 如意輪寺脇の芭蕉の句碑の前から石段を上がると、「第九十六代後醍醐天皇塔尾陵」があります。病におかされた後醍醐天皇は皇太子の義良親王(後村上天皇)に皇位を譲られた後、延元4年(1339年)八月十六日、波乱に満ちた生涯を閉じられました。京都帰還を願いながらも無念のうちに亡くなりなられた後醍醐天皇の、「玉骨は、たとひ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ」とご遺言されたお心を汲み、京都に向かい北面して築かれています。

■吉野水分神社■
K吉野水分神社
 水を司る天之水分(あめのみくまり)大神を主神とする水分神社は、文字通り水を分配する神様ですが、"水分"(みくまり)が"御子守"(みこもり)となまって俗に子守さんと呼ばれ、平安時代から子宝の神様として信仰されています。社殿は豊臣秀頼の再建したのもで、父の秀吉が水分の神に祈願して秀頼を授かったといわれています。主神と合わせて七つの神像が祀られ、そのうちの玉依姫命坐像(非公開)は国宝です。本殿、拝殿、弊殿、楼門、回廊からなる桃山時代の大変美しい建築です。

■金峯神社■
L金峯神社
 奥千本にあり、杉や桜の老樹におおわれて鎮座しています。吉野山の地主神、金山毘古命(かなやまひこのみこと)を祭神としています。上り口には朱色の鳥居が建っており、これが大峯山上へ参る為の四つの門のうちの「修行門」に当たります。修験道の道場で藤原道長も祈願したと「栄華物語」に記されており、藤原道長の経筒(国宝、京都国立博物館に寄託)が残っています。また、金峯神社の裏には、修験道の行場で宝形造りの一重の塔があり、義経がこの塔に隠れ、屋根を蹴破って外へ逃れた事から「義経の隠れ塔」、「蹴抜の塔」といわれています。

■西行庵■
M西行庵
 金峯神社から更に山道を通って奥へ進むと、西行法師が三年のあいだ隠棲したといわれる場所に、土壁に杉皮葺きで質素なたたずまいの西行庵が建っています。西行の俗名は佐藤義清(のりきよ)といい、鳥羽上皇に北面の武士として仕えましたが、二十三歳のとき武士を捨て出家しました。生涯を旅に過ごし歌を作り続けました。西行庵近くの苔清水(こけしみず)は今も清らかな水が湧き出ていて、貞亨元年(1684年)には松尾芭蕉もここを訪れて「つゆとくとく心みに浮世すすがはや」と詠んだ句碑が立っています。


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